西原の名称は、首里の北(方言でニシ)にある地方ということに由来します。
間切時代、西原は首里王府の直轄領、領域も津堅島、泊、天久、末吉、石嶺にまで及んでいました。その後、明治41年、特別町村制の施行より西原村となり、大正9年にはほぼ現在の領域になりました。昭和20年の沖縄戦では住民の約半数が犠牲となりましたが、その後復興・発展を遂げ、昭和54年に西原町に移行しました。
行政区は、幾多の返還を経て昭和7年に24ヵ字になり、戦後は、6区制24ヵ字制、16区制、平成3年に30区制、平成7年に31区制、平成8年に32区制となって現在に至っています。
人口は、戦前・戦後を通じて1万人前後で推移しましたが、昭和40年代以降、都市化とともに急増し、平成22年2月末現在、34,616人となりました。
産業は稲作中心からキビ作、亜熱帯果樹栽培、花卉(かき)栽培へと変化し、昭和40年代以降は、各種産業が進出して商工業も盛んになり、今では県内有数の工業集積率、出荷額を誇っています。
また、本町は幼児教育から大学教育までの一貫した教育施設に恵まれています。
このように、西原町は「文教のまち」として日々活況を呈し、発展の一途をたどっています。